妖怪「鉄鼠」

妖怪「鉄鼠」

滋賀県に由来する妖怪といえば、鉄鼠(てっそ)がいます。

 

この妖怪のモデルは実在の人物です。

 

平家物語によれば、平安時代、頼豪(らいごう)という僧がいました。

 

頼豪には、三井寺の戒壇院建立の念願がありましたが、その資金がありません。

 

その頃、皇子が生まれなかった白河天皇は、効源があれば、思いのままに褒美を取らすという約束の元、頼豪に祈祷を依頼します。

 

戒壇院建立の念願の為に、頼豪は、一心不乱に祈祷を捧げます。
そして、その甲斐があり、白河天皇に敦文皇子が誕生するのです。

 

頼豪は、これで念願叶ったりと白河天皇に戒壇院の建立を願い出ます。

 

白河天皇も、一度は許可を出しますが、ここで、邪魔が入ります、それは延暦寺の反対でした。

 

三井寺と延暦寺は、同じ天台宗の一派ながら当時、仲が悪かったのです。

 

白河天皇は、院政で絶大な権力を振るった人物ですが、鴨川の流れと賽の目と僧兵はどうにもならなかったと歌われたように。
僧兵を擁した延暦寺には勝てず、戒壇院の建立を反故にしたのです。

 

頼豪は、これを激しく恨み、今度は自分の祈祷で生まれた皇子を闇の世界に引きづり込もうと考えて、断食を開始。
100日後に、悪鬼のような姿になって死にました。

 

その直後から、敦文親王の側に怪しい白髪の老僧が出現するようになります。
頼豪の祟りを恐れた白河天皇は、やっと生まれた皇子を守ろうと、僧達に祈祷を頼みますが、甲斐はなく敦文親王は、僅か4歳で、この世を去ったといいます。

 

頼豪の恨みは、これでは晴れず、8万4千匹の鼠に姿を変えて、延暦寺に襲いかかり、その経典から仏像までを喰いつくし、さらに民衆にまで、襲いかかろうとしましたが、勝軍地蔵が現れてこれを防ぎ、頼豪を封じました。

 

これにより、頼豪は、頼豪鼠、鉄鼠と呼ばれるようになったそうです。